ベクトル消える問題。三角関数いらん問題を語る

どうも。デイビッドです。

実は、某予備校で4年間バイトしていたことがあって、教育への関心高めマンなんですが、

ベクトルが数Bから数Cに移行する

というのを聞きつけたので、だらだら語ります。

高校数学のベクトルが数B

から消える。数Cに移るらしく、文系志望の学生は、ベクトルの有用さを知らぬまま大学へ。このことで、図形の問題を解く際に、ベクトルで解く選択肢が減るので、窮屈そう。

理系志望の学生は、終盤までベクトルを学習しないまま物理を履修しなければならない……ということで、絶望的すぎる采配。

機械工学などの物理を扱う分野に進みたい学生のみなさんには特にアドバイスしておきたいのですが、

ベクトル、マジで要る。

ベクトルの理解が浅いのは物理学を学ぶうえで本当に致命的です。

更に、大学初等数学である線形代数は、文系であっても、履修するひとが多い必須科目ですが、ベクトルの理解がないと、これも苦しいです。

まぁ正直、「行列」もマジで、要るという部類だったにもかかわらず現在は省かれています(僕の頃はまだありました)。

みんななんだかんだやってるのかもしれませんが、学習が遅くなる弊害は必ずあるはず……

複素平面は、行列がぬけた代わりに入ってきています。複素平面も工学上重要な概念ですが、

ベクトルはそういう次元ではないです。もっともっと重要で頻繁に使いますし、エレガントな概念なので、指導過程変更後の高校生のみなさん、特に理工系志望の方は、余力があるうちになるべく早くベクトルを自習してしっかりと身につけておくことを本当にオススメします。

確かによく考えると、高校の物理って無理やりベクトルを排除してるんですよね。なので、これまで通り物理を学校で教えていればいいんですが、これは本当に非効率的で、本質を見えなくしてしまうだけです。

僕が高校生を教えるときは必ずベクトルを加味して教えていました。特にこれからバリバリベクトルを使っていくような分野に飛び込む予定の学生には。

大学の先生の負担も増すばかり。

ベクトルは消したらあかん。

また、今回の話とは直接関係しませんが、つい最近話題の、某H本氏の、三角関数いらんだろ問題。

彼はきっと、

より日本を成長させたい、

そういう思いで、ああいう過激ともとれる発言をしたんだと思います。

たしかに、適性のあることだけやって、その道のプロを大量に排出するのは「効率の良い」ことかもしれません。

が,言いたいのは,人の可能性を奪うなってこと。

・何に適性があるかなんてすぐに分かる訳がない

僕は,そもそも教育って広く浅くいろんな可能性を押し拡げるためにあると認識してます。その根本を変えたいってことなんでしょうが,適性を早い段階で見極めてしまうとかいう話。一生かけてやっと適性あるて分かることもあるやん。どう線引きするつもりなん。あるいは、やりたいこと、情熱を注ぎたいと思えることが見つかった時に、仮にその段階で不得手なことでも、情熱さえあればいくらでも適性を有するレベルまで持っていけるでしょう。そういう「マイナスがプラスになっていく可能性」を始めから切るのは馬鹿としか言えないよ,馬鹿。

・効率が全てじゃない

学問・創作活動ってそもそも効率が悪いわけですよ。研究にしろ、音楽とかアーティスティックな活動にしろ、大勢の人に評価されるものを生み出すのってそもそもの性質として効率悪いもの。その効率の悪い部分にこそ、イノベーションがあるわけ。で、もちろんそのイノベーションの起こる割合はほんまに少ないけれども、そういうものには爆発力がある。1が1000になる。自由な学習を妨げるような教育は、自由な発想も妨げるし、そういうことで生まれるイノベーション爆発の可能性も切るってこと。

極端に各人の可能性が狭まるような教育システムじゃ、すぐに限界がくるってなぜ気づかないのかしら。それこそ,人口減少の情勢なんやから,生まれてくる少数の子供達には,いろんな潜在能力を開花させて,様々な役回りとれるようにしていくべきでは??

そして,ここでいう「可能性」は「夢」と同じだと思ってます.

真意は分かりかねますが、要するに,私が言いたいことは,

人の夢を奪うな!!

ってこと。

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